HIRO.F と GSX-R
GSX-Rについて、うだうだと。。。
- 大切なものに出会った時のことを覚えていますか -
出会いは、学生時代、K-ageが大阪で乗っていたGSX-Rの初期型、赤黒モデルだった。
あれは、1988年ごろだったかな?私は、そのころ鳥取で学生をしていて、大阪で学生をしているK-ageのところに遊びに行き、またいで、1mくらい走った。
その頃、あまりバイクには興味が無くて、バイトもしてなく、免許もない。
でも、その時、GSX-Rにまたがって、駐車場でちょっと動かした時の興奮は、まだ覚えている。
原付免許を取って、SUZUKIのADDRESS TUNEにのってました。新車で16万もして。。。
当時、入ってたギターアンサンブルってサークルに行くのに、スクーターは重宝したし、サークルの仲間で、よく夜の峠に走りにいってたなぁ〜
免許取る前に、最初に乗ったのは、広瀬って同じ科のSUZUKI蘭。
古くて、まったくパワーないけど、怖かったね。。。ADDRESSは、当時の最高馬力で7ps。
友人は、JOGとか、ADDRESS、Dio、New JOGとか乗ってて、最高速では勝つけど、JOGのダッシュはすごかたね。
燃費も良かった。ADDRESS TUNEは、燃費がほんと悪くて、いっしょにツーリング行くと、帰りに1台ガソリンがなくなって。。。
みんなで夜中に、よく行ったのが、兵庫県の浜坂の海岸線。
けっこうきつめのワインディングなのに、みんなスロットル開きっぱなし。
ぬきつぬかれつ、刺したり刺されたり。。。
ほんと楽しかったね。。。。でも、ADDRESS TUNEだけ、鳥取までガソリン持たなくて。。。
他のやつにヤクルトジョア買って来させて、道端の坂でバイクさかさにして、ガソリン入れて、なんとか帰ったりした。
あとは、JOGのやつと、二人で倉吉から、人形峠のほうをまわって、200kmくらいのツーリングをしたときは、日曜の夜だし、鳥取と岡山の県境なのでガソリンスタンドがなくて。。。
スピード出さないと、あっても閉店になりそうだし、スピード出すと、ガソリンすぐになくなるし。。。
ぎりぎりで見つかった思い出もあるな。
秋も終わり頃で、首が、がちがちになってたなぁ
K-ageの、GSX-Rと、鳥取から島根の実家まで200km近く、正月くらいに帰ったこともある。
あの時は、とにかく9号線をアクセル開きっぱなしで。。。
身体が、がちがちで、動けなくなって、運送屋に鳥取まで届けてもらった。。。
K-ageのGSX-Rは、ちょこちょこ電装系のトラブルで、悩まされてたなぁ。。。やっぱり電装系は弱いみたい。
でも、鳥取までちょこちょこ遊びに来てたし、かっこいいなぁって思ってた。
秋の頃になると、少しだけパチンコ屋でバイトした。
でも、サークルの定期演奏会とかの練習で、バイト禁止になって、くびになってしまった。
サークルでは、けっこう、できのいい方で、真面目だったので、定期演奏会の後、世代交代で、1年なのに指揮者をやらされることになった。
なので、毎日鍛えられて、バイトもできず。。。
2年の春に、二度ほど舞台にもたって、練習とかの指示とかも大変だったね。。。
みんな、けっこうバイクが好きで、同級のやつが、HONDAのMVX乗ってて、もう一人はYAMAHAのFZR400を買ってた。
当時は、レプリカが全盛期で、VFRとか、FZRとか中古でも60万以上してたね。
サークルの合宿の時に、みてかっこよくて、うらやましかったなぁ
で、そのサークルは、新しい幹部に反発して、うちらの同級が、みんな辞めちゃって。。
しょうがないので、同級の中で、一人幹部だった俺も、いっしょに辞める事になった。
チームシンスケのドラマを見たのは、まだサークルにいる頃だったかな。
千石さんというライダーを走らす為に、「泣けるよ」という言葉だけで、素人が、みんなで力を合わせて。
最後、完走できなかったけども、みんなで泣いた。。。何年か後、完走して、ほんとに泣いた。
大の大人が、人目をはばからず、大声で泣いていた。
鈴鹿の8時間耐久レースに行ってみたい。。。俺も、同じように泣けるだろうか。
ドラマの中で、チームシンスケにSUZUKI GSX-Rを無償で、貸すという人物がでてくる。
当時、SUZUKIの4ストレースを任されていたヨシムラのPOP吉村さんだ。
ほとんどワークスといってもよい、世界最強のプライベーター。名前だけは聞いた事があった。
そのすごいマシンを、
「最近はマシンの性能は良くなったが、それに乗る人間がついていけてない。。。
千石さんをのせようっていうのでしょう。。。それだけで十分ですよ。。。」
すごい人物だなぁと思った。
GSX-Rのことも、もっと好きになったし、POPさんのことを、ほんとうに尊敬した。
いつか、GSX-Rに、ヨシムラのマフラーをつけて走りたい。。。
夏休み前にサークルを辞めた俺は、バイトをしようと思った。
なるべく給料が良くて、お金になるところ。。。先輩、後輩があまり無いところがいいな。。。
当時は喫茶店のウエイターが自給550円程度の頃、鳥取には、ファミレスは、まだあまりなく、ちょうど、TOMATO & ONION正連寺店が俺のマンションから10kmくらいの所にOPENするとのことで、バイト募集していた。
自給700円で、当時だと、かなり高い方だった。
髪の毛を黒くして、面接に行き、合格、、、既に教育訓練は始まっており、少し遅いスタートになった。。。
そのせいで、いつまでたっても、皿とかを片付けるバッシングとか力仕事ばかり。。。
それでも深夜に入る事が多く、そこそこ稼げそうだった。
20時から、2時まで。。。ほとんど男ばかりの職場と化しており、お金と、もう1つの目的の女性とは、なかなか仲良くはなれなかった。。。
このバイトをするときに、目標を4つたてた。
この年の夏休みはバイトを精一杯する。そのお金で、秋に二輪の免許を取る。
そして、絶対にGSX-Rを買う。
そして、次の夏休みは、三重県の叔父のところで、住みこみで溶接工の手伝いのバイトをし、鈴鹿へ8時間耐久レースを見に行く。
バイトのお金で、GSX-Rで北海道一周をする。
バイクの本ばかり読みまくってた俺には、鈴鹿サーキットと、北海道という聖地が二つできていた。
絶対、両方とも行ってやる!!その為に、今年の夏はバイトをがんばるんだ!!
当時買えそうなレプリカ400で、丸目二灯のものは、初期のGSX-Rと初期のFZくらいであった。
やはりGSX-Rが好きだし、性能も最新型と遜色無かった。
パワー規制の前だし、乾燥重量は250ccかと思うくらい軽い。
デザインは、当時のレプリカのように、ステアリング部分が低くなく、シートもマフラーも上がっていなくて、古臭いかっこではあったが、
それが、なんだか武骨で、大きめなボディも、身体の大きな俺にはちょうどいいかと思った。
なんといっても、赤黒のヨシムラカラーが、ほんとうのレーサーを感じさせていた。
当時はGSX-Rも6型になっており、マフラーが2本出しで、重たそうなボディだった。
1,2型が、中古市場で、30万程度、それ以上だと、50万、60万して、まず買えない。。。
免許を取るにも、お金がかかるし、ヘルメットやグラブ、ブーツ、タンクバッグなどの装備も欲しい。
親からの仕送りも、当時の相場より、まったく低く、3万円くらい、あとは奨学金でなんとか暮していたが、家賃が3万円なので、食費は、1月3千円くらいで切り詰めて自炊していた。
3万円のマンションといっても、木造鉄骨、部屋は4部屋しかなく、二階建ての、かなり古い名前だけの蓮原マンションというところの1号で、2LDKの部屋に住んでいた。
進学した時に、あまり中のいいとは言えない奴と、同じ学校に決まった為、2LDKに、二人で住む事に決めた。
しかし、俺の交友関係と、そっちの交友関係が、まったく違い、だんだんと話もしなくなり、こちらばかり賑やかにしているもので、最初の年の、秋頃には出ていった。
ほとんど会話も無かったし、趣味もまったくあわない。
酒も飲まないし、音楽もアイドルばかり、、、二人で住むのを決めたのも、当時やっていた喜多嶋舞だったかのドラマの影響だ。
たしか、当時ABブラザーズの中山がでていたんじゃないかな、もう一人の池田ってミュージシャンのやっている役の色男と同居していてってストーリーだったな
まぁそんなにおいしい話はなくて、女の子を呼び込んだことなんて、まったくなかったんじゃない。
バイトをやりだして、皿を持つ練習とか、メニューを覚えたりとか、いろんなことを身につけていったけど、前の店からやっていたメンバーも深夜には多く、ほとんどバッシングや片付けばかりだった。
店長と、主任は目の敵のように、何度もしかりつけられてた。。。他のやつは、もっととろくても、何も言われなかったけど、きちんとやっても怒られてた。
他のメンバーが辞めたり、新しく入って来たり、、、それでも、ずっと怒られっぱなしだった。俺だけ。。ほとんどやつあたりみたいな感じで。。。
それでも、GSX-Rのために、辞めずにがんばったね。そのうち、分ってくれるだろうってね
秋になって、自動車学校の合宿生がいなくなって、空きが出てきた頃を狙って、免許を取りにいった。日本海信販自動車学校という学校と部屋から近いところだ。。
友人の紹介で、紹介料をもらってたな。きびしいけど、いい学校って噂だ。他の学校は、評判悪かった。
バイトも夏休みが終わって、客が入らないころでちょうど良かった。
原付の免許しかもっていなかったので、学科もほとんど受けないといけない。
軍手に冬用ブーツ、原付のときのメットで、まったく問題なく進めた。
検定も難なく通り、卒業。
そういえば、俺より先に入学していた女の子は、交差店で止まる時、そのまま倒れ、次の日は片足にギブスをしていた。。。
けっきょく卒業はできたのかな。。。
車の免許をもっていれば、学科試験はなしだが、持っていないので、鳥取市から30kmくらい汽車に乗った由良というところまで試験を受けに行かねばならない。
それだけって思うと、いてもたってもいられなくなる。自動車学校が10万くらいかかったので、残ったお金はあと20万くらい
鳥取のバイク屋に、かたっぱしからGSX-Rの1,2型はないかと、電話をしてみた。
しかし、もう、その頃古いバイクだったので、まったく見つからなかった。
SBSがオークションに行くというので、それに同乗してもいいよと言われたので、とりあえず、お願いして他もあたった。
しかし、まったく見つからないので、すこし範囲を広げて、鳥取全域を探して見た。
倉吉の方に、中古バイク情報とかがあったので、連絡して見ると、すぐに調べてくれて、島根県の松江のほうにあるということだった。
ガレージで保管してあって、走行1万km程度、すこし傷があるけど、けっこう綺麗だと。
今から取りに行ってくるから、いつでも見においでとのことだった、ADDRESS TUNEで、30kmくらいの道のりを見に行くことにした。
しかし、まだ購入するかどうかも決めていないのに、100km近いところを往復してバイクを取りにいってくれるなんて
そのショップなら、ちょっと遠いけど、信頼できそうな気がした。
場所は、倉吉市の白石だったかな、サックス奏者のMALTAさんの実家の近くのモーターショップ井上というお店だった。
そこが、その中古車の情報を面倒見ているらしい。
家の裏には、無造作にバイクの部品などもおいてあるし、店が家か分らないくらいの、(すこし。。)汚いオイルがしみた家の中に、赤白黒のGSX-R 2型があった
ばらしてあって、キャブの調子がおかしくエンジンがかからなかったらしい。
大阪に中古のキャブがあって、それから部品をあわせてかかるようになったとこらしい。
エンジンを下ろしてあったので、試乗はできなかったが、外観もけっこう綺麗だし、エンジンも問題ないとのこと
一番の理由は前歯がかけた、髭と白髪のおっちゃんのいう事が、ものすごく信用できた。この人の薦めるバイクならいいと思った。
鳥取のほうにあった、儲けが一番の綺麗なショップのバイク屋とは違う、とにかくバイクが好きで、バイク乗りのことを考えてくれて
修理も安くあげてくれる。
店長自信も、子供もオフロードをやってて、ほんとうにバイクが好きそうだ(一度、その子供にタイヤ交換をやってもらったこともある)
購入を決定し、学科の試験の後、合格したらその足で取りに来ると契約した。
由良と倉吉は鳥取市より両方西だが、倉吉のほうが、10kmくらい南にあった。
俺は、学科試験しかないのに、まるで実技を一発で通ろうというようなかっこで、ヘルメットを持って汽車に乗り由良に向かった
学校でいつも試験は受けているが、やっぱり緊張した。。。落ちたらヘルメットをもって、また汽車で帰らないといけない。
合格発表は昼から、時間をつぶし、発表をまつ。
俺のナンバーは掲示板にあった。
免許を貰い、頭金のぶんのお金を下ろし、倉吉へ向かった。
JRとバスを乗り継ぎ、店に向かった。組みあがって、いつでも動けるGSX-Rが待っていた。
頭金を払い、操作方法を聞き、夕闇が迫る道路にでた。
操作方法は聞いたが、興奮して頭に入っておらず、方向指示器の使い方など、ADDRESS TUNEと違い戸惑った。
年式の新しいADDRESS TUNEはブッシュキャンセルだったのである。
ガソリンが少ししか入ってないので、最初のスタンドでいれておけと言われていたのを思い出して、ガソリンスタンドへ入る。
道路から入るときの段差と、鉄板が滑りやすそうで、怖かった。
慌てて、ライトや指示器をだしたま、エンジン止めて、キーを抜いて、、、どうやってタンクを開けるかも分ってなく、あたふたしながらなんとか給油を完了し、さらに暗くなった道路をトラックに恐怖しながら、ゆっくりと帰った。
なんとか鳥取に帰って来て、友人にみせたくてしょうがなく、色々なやつのところをまわった。
ほんと、嬉しくてしょうがなかった。
興奮しすぎて、いきなり、横断歩道で、人をひっかけそうになり、頭に上りきった血が引いていくのも始めての経験だったが。。。
続く。。。
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